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【読札解説】
中臣鎌足は、のちの藤原鎌足のことで、皇極天皇4年(645年)に当時権勢を誇っていた蘇我氏を中大兄皇子とともに倒し(乙巳(いっし)の変)、様々な改革を進めた人です。中臣鎌足の出生地は、大和藤原説と鹿嶋市下生説の二つがあります。下生説は、平安時代後期に藤原家がまとめた『大鏡』に、藤原鎌足は鹿島神宮のある常陸の鹿島で生まれたと記されています。鹿嶋市に残る言い伝えでは「神官の子として生まれ、名を鎌子といい、極めて利発な子でしたので、奈良の都へ行かせ、中臣本家に養子となった」と伝えられています。のちに、蘇我氏を倒し、天智天皇を支え、大織冠(たいしょくかん)という最高位の位を授かり、藤原の姓をたまわりました。その後の藤原家の繁栄を築いた偉大な人物です。下生地区にある鎌足神社(市指定史跡)の南に「藤原」の地名が残っています。