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「こ」 古代の役所 郡家跡 発掘調査で蘇る

印刷ページ表示 大きな文字で印刷ページ表示 ページID:0016049 更新日:2020年7月22日更新

「こ」

【読札解説】

 古代の郡役所(ぐんやくしょ)は当時、「郡家(ぐうけ)」と呼ばれ、税の徴収や政務を行っていました。古代の鹿島郡は、十八の郷からなる神郡(しんぐん)でした。神郡とは、全国に8つしかない、大きな神社を支えるために設けられた神領です。『常陸国風土記(ひたちのくにふどき)』には「その社(やしろ)の南に郡家あり。」という記述がありますが、昭和54年(1979年)、これを裏付けるように鹿島神宮の南に位置する宮中字神野向・荒原地区から、古代の郡役所に関連する大きな溝などが発掘調査で発見され、昭和61年(1986年)に国の史跡に指定されました。現在までの調査で、税を納めた倉庫群や政務を行った郡庁、厨家(台所)施設などの建物跡や文字が書かれた土器(墨書土器(ぼくしょどき))などが見つかっており、古代の地方郡役所として全体像が明らかになっていること、全国で8つしかない神郡の役所であること、鹿島神宮との関わりが深いことなど古代史を解明するうえでも重要な遺跡です。


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